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毎日ラジオを聞いている。聞いているのはクラッシックラジオという、クラッシック音楽を延々と流しつづけているチャンネルである。それ以外の僕の情報源はといえば、人と話すか、たまにニュースをインターネットで見るくらいである。
しかし、東京で暮らしていたときはものすごかった。家に帰るとまずテレビをつけて音声を消し、次にラジオをつけて、さらに別の場所に置いてあるラジカセで音楽を流し、さっき買って来たばかりの雑誌を読みながら、人と電話で話をするみたいな感じだった。なんでそんなに状態になっていたか、今から思えばあのときの自分が理解できないけれど、きっと情報中毒者になっていたんだと思う。音楽を聴きながら駅まで行き、コンビニかキヨスクで雑誌を買い、電車のなかで音楽を聴きつつ雑誌を読みながらつり革広告を眺め、膨大のポスターや看板を見ながら歩く日々のなかで、知らず知らずのうちにそういう生活をするようになっていたんだろう。
それが今ではラジオだけで充分満足している。今まで毎日中華料理のフルコースを食べていた人が、いきなり一汁一菜になったみたいな感じである。ぼくがそういう生活しているからといってオランダ人がテレビを見ていないわけではない。オランダに来た当初アムス近郊の町に住んでいた。オランダ人は不思議な習慣をもっていて、そのひとつにリビングのカーテンを閉めないというものがある。だから通りから部屋のなかが丸見えなのだが、必ずと言っていいほど家族揃ってソファーに座ってテレビを見ていた。ぼくもオランダに来た当初はよくテレビを見ていた。

それこそ一日中テレビをつけっぱなしの生活をしていた。でもテレビのチャカチャカ変わる画像にイライラするようになり、徐々にテレビをつけなくなり、ラジオを購入してからというもの、テレビはまったくつけなくなった。街に出てもポスターも張ってあるのはある限られた場所だけだし、店の看板も控えめなので目障りではない。そうやって日々の生活のなかで得る情報が徐々に減っていき、しだいに情報を排除する方向性になってきた。そして同時に本当に必要な情報は必ずなんらかのかたちで耳に入ることも知った。
づけている。
そういうささやかな情報生活が、良いか悪いかよくわからないけれど、今のぼくにはあっている気がしている。そんな生活をしているぼくが、このあいだ日本に帰国したときに成田から新宿に直接向かった。電車から降りて広がる新宿の街の情報量と人の多さは脅威ですらあった。まさに目がくらむとは、このことだなと思いながら、なるべく下を俯いて自分の靴だけ見て歩くようにしていた。それでも街を歩き、用事をすませているだけなのに、勝手に情報がどんどん脳に入り込んでくる感じがした。新宿駅から新幹線に乗るために東京駅に着いたときにはもうすっかりすべての気力を使い果たした気分だった。新幹線のなかで指定された自分の席につくと、隣には仕事がすごくできる風のサラリーマンがいた。彼はラップトップコンピューターをPHS経由でネットに繋げ、チェックしていないあいだに溜ったであろうメールにものすごい勢いで返信していた。それだけではなく、ものすごいスピードで受信する携帯メールにも返信を書いていた。横にいるぼくはほとんど死んでいるかのようにグタッとしているのに、彼からはつねに「バリバリ」と音がしていた。「すごいなぁ、この人の一日はきっとぼくの一ヶ月位に匹敵するんだろうなぁ」と思っていたら、彼はピタッとタイプする手を止めて、パッとぼくの方を向いてこういった。
「鼻血出ていますよ」
ぼくはびっくりして鼻を触ると、彼が言うとおり鼻血が出ていた。そして鼻を押さえてトイレに行って、ティッシュを詰めた。彼は新大阪駅で降りるまで、ずっとペースを崩さずひたすらメールを打っていた。ぼくはそのあいだずっと車窓の風景を眺めていた。なんだか隣同士になったふたりが明確なコントラストをつくっていた。それからもぼくはぼんやりと車窓の風景を眺めつづけた。きっと彼は携帯メールを今日もずっと高速で打ち続けている。
2009.4.30