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辰野登恵子は2001年、版画集「TWIN COLORS」を中心とした一連の銅版画を制作しました。 辰野は「二つあること」「対であること」について興味を持ちイメージをふくらませていき、少しずつ違った形の二つのもの、形は似ているが二色の組み合わせが違うもの、相似形だけれど色が違うもの、というように組み合わさっていきました。 抽象的な観念の世界のようでありながら、それは日常身の回りで頻繁に目にする事柄への着目です。そこから始まって私たちやこの世の成り立ちへと、色や形を通して広がっていきます。
辰野登恵子
Toeko Tatsuno
カラーエッチング
color etching
主に油彩画を制作した。 70年代、シルクスクリーンの作品の発表がキャリアの始まりである。その後油絵の制作が中心となり、非常に強い色彩や形態により、生命感みなぎる大型の画面へと向かっていった。 しかし晩年、作品が発表されるごとに見えてきたものは、以前の作品が持つ強さの中でそっと姿を潜めていた、なん度も繰り返される静かな思考であり、それは辰野のもう一つの姿のように思える。 2014年夏、惜しまれながら急逝。 略歴 1950 長野県岡谷市に生まれる 1972 東京芸術大学美術学部絵画科卒業 1974 東京芸術大学大学院修了 1974-75 東京芸術大学美術学部版画科助手 2014 惜しまれながら急逝 主な個展 1973 村松画廊/東京 (’74,’75) 1976 かねこ・あーとぎゃらりー/東京(’77) 1978 ギャラリー16/京都 ギャラリーたかぎ/名古屋(’85,’86)康画廊/東京 1982 ファビアン・カールソン・ギャラリー/ロンドン 1987 アート・ナウ・ギャラリー/イェーテボリ 1989 佐谷画廊/東京(’93,’95,’97) 1990 後藤美術館/松戸・千葉 1991 ギャラリー米津/東京(’92) 1995 東京国立近代美術館 1998 コオジ・オグラギャラリー/名古屋 2001 西村画廊/東京 2005 シューゴアーツ山 主なグループ展 1977 日米現代美術交換展 80ラングトン・ストリート・ギャラリー/サンフランシスコ、神奈川県民ギャラリー 1979 第11回東京国際版画ビエンナーレ 東京国立近代美術館他巡回 1980 Art Today ’80 西武美術館/東京 1984 第4回ハラ・アニュアル 原美術館/東京 現代美術への視点-メタファーとシンボル 東京国立近代美術館、国立国際美術館/大阪 1987 絵画1977-1987 国立国際美術館/大阪 1989 ユーロパリア’89ジャパン ゲント市立現代美術館/ベルギー 1990 ミニマル・アート展 国立国際美術館/大阪 1991 大型版画 シロタ画廊/東京 線の表現-眼と手のゆくえ 埼玉県立近代美術館 昭和の絵画 第3部 戦後美術-その再生と展開 宮城県美術館 1992-93 70年代日本の前衛-抗争から内なる葛藤へ ボローニャ市立美術館/イタリア、世田谷美術館/東京 1994 戦後日本の前衛美術 横浜美術館、グッゲンハイム美術館ソーホー/ニューヨーク他巡回 果実の受胎 駒井哲郎と現代版画作家群像 埼玉県立近代美術館 第22回サンパウロ・ビエンナーレ ブラジル 1995 日本の現代美術1985-1995 東京都現代美術館 水戸アニュアル’95 絵画考-器と物差し 水戸芸術館現代美術ギャラリー/茨城 視ることのアレゴリー セゾン美術館/東京 1998 アート/生態系・美術表現の「自然」と「制作」 宇都宮美術館/栃木 2001 椿会展 資生堂ギャラリー/東京 (’02,’03,’04, 05′) 2003 開館記念展「絵画の現在」 新潟県立万代島美術館/新潟山 2012 与えられた形象ー辰野登恵子/柴田敏雄 国立新美術館 主なパブリックコレクション 愛知県美術館 足立区 いわき市立美術館 外務省 高知県立美術館 国立国際美術館/大阪 埼玉県立近代美術館 高松市美術館 千葉市美術館 東京国際フォーラム 東京国立近代美術館 東京都現代美術館 栃木県立美術館 富山県立近代美術館 名古屋市美術館 新潟市美術館 練馬区立美術館 原美術館/東京 福岡シティバンク ワイズマン・ファウンデーション/ロサンゼルス
Painter. Tatsuno painted oil on canvas mainly. In ’70s, she started her career with screenprints. Those have systematic patterns suchi as grids and parallel lines. In ’80s, her main medium shifted to oil painting and the works became stronger, more energetic and larger sized. But in her later years, the important thing came up is the repetitive silent consideration to phenomena, that were behind her strong expression. In the summer 2014, she has past away.