現実と映画やインターネット、ゲームなどの二次元的なツールとの境界線が曖昧になりつつある 現代ではシミュラクルな画像やイメージがネット上で氾濫し、遺伝子のような情報伝達により、現実として我々の記憶や思い出に変換される。ここ10年で情報を触覚的に操り発信するスマートフォンやSNSが普及した。私は幼い頃からゲームやスマートフォンや映画などを快楽的なツールとして触れ、現実逃避をするように遊び、執着していた。今や私が体験していた感覚に近い快楽先行の表層的なイメージがSNSなどで広がっている。それにより様々なコンテクストから抽出されたイメージが同じ枠組みの中で降り続け元来そのイメージが持つ意図や固有名から離れ、memeのように使用可能なツールとして立ち現れる。そこではそのイメージが持つ本質などには目を向けられずそのイメージの表面性や意図しない部分に焦点が当てられる。それは大衆の快楽主義的な需要でありこの事こそが現在のリアリティであると感じる。私は様々なコンテクストからサンプリングし、時に画像を3Dモデリングで再構成し作品に流用している。サンプリングされたイメージ同士は別の文脈から引っ張られてきたことによる違和感や歪みが生じ、不気味さやキッチュなものを内包する。しかしこの違和感やキッチュな様相は現在の多様性を持った現実の顕在化されたイメージである。肉体が存在し肌で感じはいるが、現実から逃避したり物理的に把握しきれない事により意識の外に存在するような現実、表面性のみが重要視されるイメージの本質や内包するものが見えづらい表層的な二次的視覚性のメディアの情報、これらの対蹠的なものがメランジュのように混在する現在のグレーな領域をイメージのアプロプリエーションや3Dモデリングでの表面性のみの抽出によって、二次的視覚性と三次元の現実が混在した世界の可視化を行なっている。