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不思議なことだが、オランダにいるとあまりお金を使わない。まず外食がものすごく高いのでほぼ自炊。友達と会うときも友達の家か、自分の家で食事をするし、自転車で移動するので交通費はかからない。屋内で煙草が吸えなくなってカフェにもほとんど行かなくなったので、遠出するときにはペットボトルにお茶を入れて運河沿いのベンチとか、公園で飲む。だからお財布を持たないときもあるし、あっても1セントも使わないこともよくある。週に2回ほど近くの安い市場に歩いて行って必要な食料品を買うくらいである。
それがぼくのアムステルダム生活の当たり前になっているので、東京に帰っても同じでいようと思うのだけれど、なぜかいつのまにかお金を使っている。それは日本型消費社会の絶妙さである。それはそれは感嘆するほど巧妙にできあがっている。まずは交通費の存在が大きい。広い首都圏、どこに行くのにもまずは乗り物に乗らなくてはならないのだけれど、この完全なる必要経費が、消費に対する抵抗感を緩くする。そして移動にある程度時間がかかるので、その時間を何かで埋めようとして、本や雑誌を買ってしまう。ここですでに消費社会に飲み込まれている。そして時間を読み違えてどこか喫茶店に入って、コーヒーを飲んで時間を潰したり、お腹が空いたら定食屋でなにか食べたり、喉が乾いて飲み物を買ったりする。人に会うと喫茶店に行ったり、食事に行ったり、飲みに行ったりすると、あっという間に一日でアムステルダムの市場で使う食費の一ヶ月分を使っていたりする。そして膨大にお金を使い、家に帰っても何も手元には残っていない。たまにバックのなかに漫画雑誌があるくらい。

日本に帰国中のある日、軽い気持ちでアムステルダムで普通にやっているみたいに、東京でもやってみようと思った。ペットボトルに麦茶を入れて、おにぎりを持って渋谷に行った。そして街をブラブラして、喉が乾き、お腹が空いたので、適当に小さな公園のベンチでおにぎりを食べていたら、なんだかものすごく空しい気分になった。おにぎりがちっとも美味しくないし、麦茶がすごく寂しい味がする。おかしいな、なんでだろって思ったのだけれど、よくわからない。なんとなく自分が足りない存在に感じられたりもした。変だなこの感じと思いながら、まあいいやと歩いていたらすごくお洒落なカフェがあった。ほとんど吸い寄せられるように店に入って、カフェオレを頼んで、人ごみを上から眺めながら飲んでいたら、なんか心がだんだんホッとしてきた。そして「ああ消費ってのは麻薬なんだなあ」とつくづく思った。東京の消費という麻薬はあまりにも高品質だ。ぼくなどとても弱っちくて太刀打ちができない。その後、まんだらけで漫画本を大人買いして、リュックを一杯にして街を闊歩していたらちょっとした英雄気分だった。そんな訳だから今度日本に帰っても消費の麻薬に勝てる気がまったくしない。これからもずっと負け戦だと思う。
アムステルダムで全戦全勝、東京で全戦全敗。国や街が異なると色々なものが変わる。
2008.9.31


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