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電車に乗りながらオランダの風景を見ていると「ミステリーがない」と思う。
オランダの大地は多くが埋め立て地なので、見渡すかぎり真っ平らだ。真っすぐな道がなんの感傷もなスコーんと延び、直線で区切られた農地や牧場がある。そしてある一線からいきなり街がはじまり、次の一線では街が終わる。だらだらせずに、どこかで街と農地の境目がきっちりある。曖昧さのかけらもない。そしてオランダ人の家のなかもスコーんとしている。彼らは初めて訪れる人に、部屋を一つ一つぐるっと案内してくれるのだが、はい、ここで寝ています、ここで料理作っています、体洗っています、そしてテレビ見て話をしています、と、そこには妄想を挟む余地のない空間がある。はい、そうですかとしか答えられない空間だ。そして、その空間を見ながら、やっぱりここは見渡すかぎり真っ平らな大地に住む人々の部屋だなとしみじみ思う。ここがオランダの風景にミステリーを感じられない背景なんだろうし、きっとこの大地には妖怪もいないと思う所以だ。
そういうぼくは、妖怪がいくらでもいそうな村に育った。まわりは古墳だらけで、割り箸で大地をつつけば土器がわんさと出土するようなところだった。昔は「最後のミステリースポット」と垂れ幕をつけたバスを見たりもした。そんな村にあるぼくの家の前には高い山があり、視界を遮っていた。そして家の裏にも鬱蒼とした竹林があり、そこは昼でも夜みたいに薄暗くて、おまけに野犬がたくさんいて、タケノコ取りに入ると暗闇のなかで犬の目だけがギラギラしていた。そんな山に囲まれた生活だったから、小さな頃は「山の向こうにはなにがあるのかなあ」と想像して遊んでいた。「あの山の向こうには大きな密林があったりして、この村にはいないような鬼がいっぱいいたりするんだろうなあ」とか。子供だったから、そんなとりとりとめもない想像をするようになる。たぶんそんなふうにぼくは妄想力みたいなものを身につけていっていた。それは見渡せないという不自由さを補う能力が妄想力なんだと思う。

そういうオランダと、日本の環境の差異によって育まれる能力の違いは、二つの民族の創造力を発揮するジャンルや質を変えてゆく。たとえば、マンガやアニメーションは妄想力がないとできないジャンルだと思う。日本でそれらのジャンルが異常発達したのは、日本人の妄想力という能力が絶大である証であると思うし、オランダ人のグラフィックデザインが大胆で、力強いのは、オランダのスコーんとした大地でしか産まれない感性の力である気がする。またオランダと日本の差異が如実に現れるのが、写真のジャンルであると思う。ぼくは日本人の写真はつねに「濡れ」ていると思う。そしてオランダ人の写真はいつも「乾い」ている。それは単純に日本で写真を撮ると湿気が写って「濡れ」て見えるというのでない。たとえば、日本人が乾燥したヨーロッパで写真を撮っても「濡れ」ている。逆にオランダ人が日本を撮っても「乾い」て見える。同じ機材、フィルムを使っていてもそうなのだから、この日本人の写真に現れる「濡れ」は、きっと日本人の妄想力が写っているものを濡らしているとしか思えない。フィルム上に妄想力をもってでしか見えないなにかが写り込んでいる、そんな感じする。写真って不思議なもので、きっと念写みたいな要素もあると思うから、妄想力の力で日本人の写真は「濡れ」るんではないかなと。まあこういう考え方も妄想力の現れなのかもしれない。オランダ人に説明したら「確かに濡れているように見える」と言っていたので、単純にぼくの思い込みだけではないと思う。機会があれば、みなさんもぜひ並べて見比べてください。
そういえば、パーティーの席でオランダ人数人に、「オランダのミステリースポット知っている?」と聞いたことがある。結果からいうと、一箇所だけ教えてもらっただけだ。ほかの人は、聞いたことも考えたこともないなあという感じだった。まあぼくはオランダ人の幽霊が出てもあまり怖くない気もするし、たとえ出たとしても、普通に「そろそろ天国に逝かれたらどうでしょうか?」と真顔で話せるのではないかと思う。それに引き換え、日本は心霊スポットだらけだし、ぼくは日本人の幽霊が現れたら一目散に逃げると思う。このぼくの反応の差はなんだろうと思うけど、なんとなくオランダ人の幽霊は怖くなく、日本人のは怖い。不思議なものだが、ぼくはそう思っている。
まあなにはともあれ、今日のアムスはとても天気がいいし、幽霊の気配もない。
2008.10.31
