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気づいたら母校が廃校になっていた。確かに母校があった町はものすごい田舎で、いろんな意味で本当に暗いところだったので、わざわざあの学校に行く学生も少なくなるだろうと思っていたが、やはり少子化とともにあっさりなくなった。
廃校になったからといって、特別な感傷もないのだけど、昨今の日本の急速な人口減少と都市部への人口流入の勢いはきっと止まらないだろうなと、その事実から思い知った。ぼくが生まれたのは第二次ベビーブームだった。すなわち太平洋戦争が終わって、復員してきた世代の子供の子供ということである。そしてきっと、いいことなんてなにもなかった世代でもあると思う。ともかく子供が多くて、受験の倍率は上がり学校に入るのも大変、やっと大学に入っても卒業のときにはバブル経済崩壊で就職難、そしてなんとか会社に入ったころには終身雇用も崩壊、きっと定年を迎えるころには年金も目減りしている。
たぶん、ぼくらの世代は子供をつくらないんだろうと思う。それは、いい夢を見させてくれなかった日本という国への無意識の復讐である気がする。まあ年金制度が成立する以前の社会では、老後を子供に養ってもらうために子供をもうけた。「子供の数=豊かな老後」という確固たる図式があった。でも年金が確立された豊かな先進国社会において、子供
の存在理由は、より抽象的になる。そして抽象的になった存在に、人は意味を求めはじめる。「なぜ子供をつくるのか?」と。まあ現代日本はとかくいろいろと忙しいし、世の中めんどくさいことが多いし、子供をつくることを、みんなが後回しにしていたら、いつのまにやらこの少子化だ。少子化にはさまざまな理由があるだろうけど、基本そんな気がする。

「子供は未来やで」
オランダで知り合った、ぼくよりずっと若くそして子供がいたデンマーク人に聞いた、「子供ってどうよ?」っていう質問すると、そんな答えが返ってきた。それを聞いて、ずいぶん自分が子供に対して、ややこしい考えをもっていたんだなあと気づいた。
「子供って未来だったのかあ」
それから今まで目にも入らなかった子供が目に入ってくるようになった。すると撮影する写真に「子供の写真」が増えてきた。それは「子供は未来」だから。
そんなある日、ぼくは日本の北の方にある集落に立っていた。その集落の家のほとんどが空き家で、いくつかの家はすでに倒壊している。駅からのバスも一日数本で、しかも予約しないとその集落までいかない。もちろん小学校はとっくに廃校。おまけに携帯は圏外。外はものすごい吹雪。初めて出会った集落の人に食べ物を買えるお店はないかと尋ねたら、車で20分のところに自動販売機があるだけだ言う。思わず「車で20分のところに自動販売機があるだけですか」と繰り返してしまった。もうそこは人が住む場所としては終わっていて、ただ高齢者がひっそりと人生の終わりを迎えるためにだけ家があるように見え
る。たとえば、この集落にひとりでもいいから子供が遊んでいれば、少しでも赤ちゃんの泣き声が聞こえれば、ここはもっとちがう場所になったのかもしれない。けれども、ここにはもう未来はない。彼の言葉を思い出す。
「子供は未来やで」
予測では2050年には日本の人口は半分になるらしい。
2008.11.30
