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今年のオランダの冬はまちがいなく、ぼくがオランダに移り住んでから7年のあいだで一番寒い冬だ。地球温暖化のためか、去年は手袋を買わないまま春を迎えたことを考えると、久しぶりの完全なる冬がやって来た気がする。気温は日中でも確実に冷蔵庫よりも冷たく、夜には冷凍庫並みのときもあるかもしれないという感じだ。そんな冷凍庫並みの寒さのなかで自転車を乗っていると、体からバキバキときしむ感じの音が聞こえてくる。そしてもちろん運河は見事に凍っていて、白鳥や鴨が水に入れないので、氷の上をツルツル滑りながら歩いている。凍った運河の上をスケートが大好きなオランダ人も、嬉しそうに滑っていた。
ある冬の早朝、真っ白い雪に覆われた電車が氷点下の日本の北国の駅に入ってきて、ぞろぞろと人が降りて無表情に階段を上がってゆく。吹雪で雪が舞うホームのベンチに座って、そんな光景を見ながらぼくはこう思った。
「どうして人はここに住もうと思ったんだろう」と。
比較的暖かい地域に育ったぼくにとって、一年の3分の1を「雪」と「寒さ」に支配される環境に、たくさんの人が住んでいるというのは単純に不思議だった。

また別の冬のある日、シベリアの凍てついた大地を上空から眺めていた。そこには見渡すかぎり雪に覆われた山があり、凍った湖が点在して太陽の光をキラキラと反射させていた。きっと視界に入る風景には動物以外に生きたものいないんだろうなと思った瞬間、目の端に真っすぐに伸びた道路を発見した。その道路を目で辿ってゆくと、道の終わりに小さな町があって、家々の煙突からは煙が立ち上っていた。数100キロ範囲にわたってまったく人気のない、どう考えてもマイナス数10℃のシベリアの大地にも、誰かが暮らしている。人間が快適に暮らすためにはまったくもって不適合極まりない大地に暮らす人々の出す煙
は、人間がどこでも生きていける証明のように見えた。
そして先日、ぼくも初めてアムステルダムの運河を歩いてみようと、足をそっと乗せてみた。そこには信じられないほどしっかりとした水の地があった。普段眺めているだけの運河の上を歩いていると、なんだかすごく自由になったような気持ちになった。それはまさに見上げているだけの空を飛んでいるような感じだった。
2009.1.31
