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ぼくはぶどうアレルギーだ。
あまり聞いたことのないアレルギーだけど、ぼくがまさにそのアレルギーだということに35年間、まったく気付かなかった。子供の頃から、ぶどうは好きではなかった。けれど故郷がぶどうの産地なので、近所からのお裾分けで、いつも家にはぶどうがあり、人より多くのぶどうを食べてきたと思う。そしてぶどうを食べると必ずきまって、僕の喉は猛烈に痒くなった。まわりにぶどうアレルギーの人がいれば、それがアレルギーだったのだと気付くが、運悪くだれもおらず、ぼくはぶどうはアクが強いから痒くなるものだと勝手に思っていた。そしてレーズンを食べると痒くはならないのだけれど、口にいれた瞬間、カラダがブルッと震えた。しかし不思議なもので、これもレーズンを食べるとカラダが震えるものだと思っていた。本当にそう思い込んでいた。そしてあるとき、勇気をもって友人たちとぶどうを食べながら「ぶどうって食べるとすごく喉痒くなるよね?」って聞いたら、みんなは案の定「???」という顔をした。こうやって思い込みは崩壊し、ぼくはやはり「ぶどうアレルギー」なんだという認識にいたり、それからぶどうをほとんど食べなくなった。

ぶどうを食べると喉が痒くなるみたいに、ぼくは人ごみのなかにいると、まわりの人からのモヤモヤみたいなものを感じて気分が悪くなる。
そのモヤモヤとは、他者のストレスというか、なにか出口のない、光のない感情が生み出すなにかであると思う。もちろんそれは目に見えるわけではなく、耳に聞こえるわけでもなく、ただその気配を感じて心がぐったりと疲れる。東京では毎日満員電車のなかでそのモヤモヤに心を浸食されて、降りたときにすっかりフラフラになっていた。日本しか知らなかったときは、それは単純にぼくの人ごみ嫌いと、東京との相性の悪さゆえに起こる現象だと思っていた。しかし東京以外のニューヨークでも、パリでも同じように、そのモヤモヤを感じて心がグッタリと疲れた。だからこれは単純にぼくの自意識過剰と被害妄想が原因だと思っていた。
きっと一生この体質というか、性質と付き合っていかないといけないと思っていたある日、ぼくはアムステルダムに降り立った。大きな荷物を持って電車を降りて、中央駅の通路で人ごみのなかに立ったとき、なぜかここはぜんぜん違うと思った。「え? なんで?」と思いながら、まわりを見渡しても、ほかの都市と同じように多くの人が慌ただしく歩いているだけだ。なにが違うかを街を歩きながら考えていたら、ハッと気付いた。
ここはあのモヤモヤがない、だからいくら人ごみを歩いてもちっとも疲れないのだと。そして、まだ名付けられてないかもしれなけれど、きっとぼくは「モヤモヤアレルギー」なのかもしれない。今までぶどうで喉が痒くなっても、アクが強いからだと思い込んでいたように、アムステルダムに来るまで、この心の疲れを自意識過剰と被害妄想の産物だと思い込んでいた。すごく少ないかもしれないけど、ぼくと同じ症状で悩んでいる人は、一度だまされたと思ってこの街に来てみてください。症状が改善されますよ。アムステルダムにはあのモヤモヤはありません。ここにあるのはモヤモヤの反対側にある真っすぐな静寂です。
2009.3.31
