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月刊『たかのカメラ』 鷹野隆大 × @Gallery TAGBOAT

 

エッセイ 『偉大な写真家を目指す人のために』

8月号 10月号
鷹野隆大 写真作品 「¸04/07/27」 9月号 〜「毎日写真」について〜(その2/はじめの一歩)
「'04/07/27」 ※掲載作品は、画像をクリックすることで購入可能です。

鷹野隆大 写真作品 「'03/09/09」
「'03/09/09」

 (承前)世紀末のその頃、気になっていることがありました。「撮る!撮る!撮る!」と、熱狂と興奮のうちに写真を始めたのに、いつの間にか「作品撮り」と称する特別な日にしか撮らなくなっていたのです。
 いつまでも森山大道を追いかけても仕方ない、もっと意識的に撮らねば〜と考えてのことだったのですが、その結果、撮影する機会が極端に減っていました。  体が“お留守”になっているのではないか、そんなヤバい感じがしていました。ハレとケで言ったら、写真はケのものであるべきという思いともズレていました。もう一度「ケ」、つまり日常のものに取り戻さなくてはーー。「毎日写真」を始めたのには、そんな思いもありました。こうして、


鷹野隆大 写真作品 「'03/09/11」
「'03/09/11」


 <毎日かならずカメラに触る>

 <記録写真を撮る>

 おおまかに言って、この2つを基本にスタートしました。

 カメラに毎日触れるためには、毎日なにかを撮るように決めればいいと考えました。たまたま近所に東京タワーがあったので、その日の天気を記録する意味を含めて、それを写すことにしました。

鷹野隆大 写真作品 「'04/09/12」
「'04/09/12」

 少したってからは、自分の顔も追加しました。自分が老いて行く様子を毎日記録しようと思ったのです。1年や2年では見えない変化も、10年20年後には必ず顕在化しているはずです。しかも10年に一度撮るのとは違った、微細な変化の集合体ができるのです。この作品が完結するのは死んだときなので、今わの際をどうするか、いまからあれこれ想像しています。以前、友人に「最期はチベットで鳥喪にして、ついばまれるところを撮影してほしい」と頼んだら、言下に拒否られました。ま、夢は夢として、お墓のかわりに誰かがこの作品を仕上げてくれるのを願いつつ、期待と不安を抱いて旅立つのでしょう。なかなか成仏できそうにありませんね。

鷹野隆大 写真作品 「'03/09/10」
「'03/09/10」

 カメラは手軽なコンパクトカメラにしました。根が怠惰なので、一眼レフのような重たいカメラでは挫折するのが明白でした。大切なのは続けること。しかも1年や2年ではなく、10年20年それ以上。ピントも露出もカメラまかせ、Gパンのポケットに突っ込んで、思いついたらパチパチやるくらいでちょうどいいーーということにしました。

 ふたつめの記録写真ですが、「記録」にもいろいろあります。僕がイメージしたのは、古い写真です。

鷹野隆大 写真作品 「'03/09/09」
「'03/09/09」

 50年前、100年前の街並みの写真を見ていると、“あの時”が化石となって封じ込められている感じがして、画面のなかに吸い込まれそうになります。とくに、点景で写っている人物には鋭く反応します。そこに陽が差していたりすると、もうたまりません。彼が浴びている光の感触を想像し、かつて、確かにそこにいた不思議さに、呆然とします。
 撮ることは取っておくことです。撮られることがなければ消えていた時間がそこに保管されているのです。古い写真を見るたびに“こんな貴重なものをよくぞ”と、感謝の気持ちでいっぱいになります。
 そしてふと、昔の人が僕に“あの時間”を届けてくれたのならば、僕も未来に“この時間”を届けなければいけないのではないかーそんな考えが浮かびました。

鷹野隆大 写真作品 「'02/09/19」
「'02/09/19」

 50年後の日本人のために撮ろう。将来、見ず知らずの誰かが僕の写真帖を見たときに、「ああ、1999年はこんな年だったのか」と感じられるようなものを作ろう。

鷹野隆大 写真作品 「'05/09/08」
「'05/09/08」

 なんだか尊大なことを言っているようですが、実際の撮影は、何かを「表現する!!」というより、世界から一歩身を退いた匿名性の強い行為です。どっかの誰かが「自分探しの旅に出る」と言ってあっさり引退しましたが、こっちは「自分を捨てる旅」です。(告白すると、すでにあるものを捨てるのだから、ないものを探すより楽だろうと甘く見ていたところがありました。でも、昔から言われているように、「捨てる」のは案外難しい。写真を撮ることは、自分を受容体にして、世界を受け入れることだと気付いたのは、ずっとあとになってからです。今では、自分に出来ることは世界を複写する程度だと思っています)

鷹野隆大 写真作品 「'01/09/12」
「'01/09/12」

 こうして、駅前の風景や繁華街を行き交う人々、その日会った人、テレビのニュース映像やポスターなど、未来の日本人と共有できそうなものを選んで撮り始めました。そして、自分の美意識が前面に出たものを「趣味の写真」と呼んで、徹底的に排除しました。夕焼け雲の美しさも道端の吹き溜まりの憂鬱も、記録としてはまるで役に立ちませんから。それでもつい悪いクセが出てしまったりするので、その誘惑を断ち切るために、すべての写真に日付けを入れることにしました。ここまで禁欲的にしたのは、もちろん、「捨てる」ためです。

 こんな風に撮り始めて今日まで10年弱、とりあえず続けてきて結果がどうなったのか、続きはまた来月〜(つづく)


タカのリュウダイ/'07/09/07

次回のUP日は、10月5日を予定

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